「僕にとって音楽は血液」いつまでも消えない音楽の炎。(自営業/男性)

小学生の頃に音楽と出会い、19歳のときに単身大阪に渡り音楽活動を開始。就職や結婚を経て音楽から何度も遠ざかりながらも、47歳でミュージックプラネットに出会いプロジェクトに参加。ミュージックビデオの制作も行い、精力的に音楽活動を行っている。
インタビュー概要 / まえがき
ミュージックプラネットに参加したアーティストの、個性に迫る特集インタビュー。今回は、二度もバンドが解散しながらも音楽への情熱が消えることはなかったmiya-daiさんの背景に迫ります。
質問1:音楽の原体験を教えてください!
小学生の頃、姉が流行りの曲を録音しているテープをこっそり聴いていました。BOØWYの『Marionette』のイントロがかかった瞬間にびびっときて、自分でも音楽をやりたいと思いはじめました。
中学に上がってからエレキギターを買ったんですが、周りに音楽をやっている友達がいなくてずっと1人で練習していましたね。その後、音楽をやるために東京か大阪に出ようと決意をしたのですが、東京には親戚がいて甘えてしまうかなと思ったので、大阪で一人暮らしを始めました。19歳の頃ですね。
大阪で一度バンドを組んだんですが、メンバーが就職や結婚したりしていく中で、僕自身も結婚をし、子供を授かりました。そうして音楽からは離れていくんですけど、やりたい気持ちはずっと胸の中にありました。音楽に集中できるよう転職をして、メンバーを再募集して32歳ぐらいのときに念願の初ライブをすることができました。
質問2:ミュージックプラネットに参加したきっかけを教えてください!
個人事業主として仕事を始めたり子供も独立したりして、時間的にも経済的にも余裕ができた47歳の時ですかね。SNSを見ていたら年齢が49歳までって書かれたオーディションの広告が出てきて、パッとスクロールを止めたんです。それがミュージックプラネットで。オーディションに合格したらオリジナル楽曲が提供されるっていうのを見て、興味本位で応募しました。
質問3:オリジナル楽曲について教えてください!
「やりたいこと(音楽)をしたいけど、なかなか前に進めない」「そんなこと言ってるうちに、こんな歳になってしまった」といった想いを込めました。音楽をやっていない自分も決して悪いものじゃなくて、それはそれで幸せなんですよね。このまま終わったとしても「幸せだった」って言えるような人生なんですけど、+αを考えた時に「自分にはやっぱり音楽だ」という想いをプロデューサーにもすべてお伝えさせていただいて
元々は英語のタイトルをイメージしていたんですけど、ボイストレーナーの講師にも歌声の出し方を改めて教えていただいて、自分の声を客観的に聞いた時に、日本語のタイトルがしっくりくる声なのかもしれないっていう新たな発見もありました。楽曲名も含めてプロの皆さんが僕の個性を見抜いて作っていただいた楽曲なんだなっていうのを実感しましたね。
質問4:miya-daiさんにとって音楽とは?
生きていくための活力、エネルギーですね。何をしていても本当にやりたいことは音楽だから、ミュージックプラネットのようにアーティストを目指せるもう一つの選択肢があるっていうのは素晴らしいことだと思います。何かうまくいかないことがあったとしても、音楽さえあれば生きていく活力に繋がるって感じです。そういう意味では、音楽は僕にとって血液のような存在ですね。
質問5:この記事を見た方へメッセージをお願いします!
音楽をやりたい方には、素晴らしいバックアップ体制があるので、安心して身を預けてやれることを伝えたいですね。打ち合わせの段階ですごく親身に聞いていただけましたし、最高のものを作ろうと本気で向き合ってくれるんですよね。僕のイメージとかアイデアに対して素直に「それならこんな表現はどうでしょう?」みたいに提案していただけたっていうのも本当に助かりましたし、嬉しかったですね。だから安心して身を預けて大丈夫ですよって伝えたいですね。
ミュージックプラネットスタッフからのメッセージ
精力的に活動を続けるmiya-daiさん。そんな彼であれば、これから先もどんどん活躍の場を広げていくのではないでしょうか。
引き続き、ミュージックプラネットはmiya-daiさんの活動を全力でサポートしていきます!